東京地方裁判所 昭和53年(ワ)2600号 判決
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【判旨】
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 被告田崎は、昭和二五年三月旧制豊島師範学校卒業後、約三〇年間都内小学校の教諭を歴任し、昭和四九年四月目白小学校に勤務し、同五二年四月以降一年一組を担任し、学年主任及び生活指導主任の地位にあつた。
昭和五二年五月一〇日ころ、被告田崎は入学後間もない一年生が給食に不慣れのため牛乳の栓をとるのに苦労し、児童の中には牛乳をこぼして衣類等を汚すため牛乳の栓抜きを配布してほしい旨要望したところ、原告から栓抜きは衛生管理上不潔であるので使用しない旨拒絶された。
2 ところが同年五月一六日の給食時間に、調理室の田中芳江主事が国元教頭に対し、牛乳の栓抜きを各学級に配布したので、これを各学級で保管するよう原告に伝え、その旨校内放送してほしい旨連絡してきた。一二時二〇分ごろ、国元教頭は職員室に戻つた原告に対し右依頼の趣旨を伝えたところ、原告は語気強く「牛乳栓抜きを使用しないように」との校内放送をしたうえ、田中主事を呼びつけ、興奮しながら給食主任に断りなく栓抜きを配布した理由を詰問し叱責した。田中主事は、子供達が牛乳の栓をあけるのに苦労した跡があるので、給食室の主事全員の好意で配布した旨泣きながら答えた。すると、原告は再三、「牛乳の栓抜きを直ちに原告まで返却するように」との放送をした。被告田崎は、給食の跡始末をした後、児童にツベルクリン反応の検査を受けさせるため保健室へ連れて行き、その後帰り仕度をさせ、その間に牛乳をこぼした児童の机を拭いたり、一年二組の教室の前にある水道で雑巾を洗つていた。
3 そのとき、原告が通りかかつたので、被告田崎は、「先生、さつきの放送、随分きつかつたね」と声をかけたところ、原告は顔面蒼白になり、ひきつつた表情で語気も荒々しく、「放送したのに持つてこないので取りに来た。どこにあるのか」と難詰したので、被告田崎は、机の上にある旨答え、前記のような事情から返還が遅れたことを弁解しようとした。ところが、原告は、「先生が給食室に頼んだので持つて来られないのでしよう」と強い口調でなじつたので、被告田崎は始めて原告に誤解されていることに気付き、その誤解を解いて貰おうと思い、「一寸待て」と言いながら原告の左手首を掴んだ。当時、右廊下には六年生の児童がいたので、教師の無用の争いを見せたくないと思い、直ぐ前の一年二組の教室内に原告を引き入れた。ところが右教室内にも注射を受けなかつた児童が三、四人遊んでいたので、被告田崎は右児童に気つかい、原告の両手首近くを持つて、「(栓抜きを配布させたのは)俺じやないよ、俺じやなかつたらどうする」と両腕を上下に二、三回振つたところ、原告は被告田崎の手を振り払つて廊下へ飛び出し、大声で「田崎先生が暴力を振つた」旨叫んで職員室の方へ駈けて行つたので、被告田崎はあぜんとして原告を見送つた。右教室内の出来事は、僅か一〇秒足らずの短い時間であつた。
4 原告は興奮して国元教頭及び金児校長に両手を差出して、「田崎先生に暴行された」旨訴え、直ちに警察に電話しようとしたので、校長の指示により教頭に止められたところ、豊島区教職員組合に電話連絡した。金児校長は被告田崎を呼び出し、校長室において原告及び同被告双方から事情を聴取したが、被告田崎は前記のとおりその顛末を報告し、校長の質問に対し殴つたことは絶対にない旨答えた。校長は原被告双方の行為を注意し、互に謝つて仲直りするように勧め、教頭に事後処理を頼んで会議に出席した。原告はその間に保健室に赴き、居合せた片田校医に両腕を見せて応急処置を依頼したところ、同校医は大したことはないと何ら手当をしなかつた。その後教職員組合の下谷書記長が来校して教頭立会の下に双方から事件の概要を聴取した。原告は、同書記長に両腕を見せようとしたが、もう赤くなくなつてしまつた旨述べていた。被告田崎は同書記長から、原告の両腕を握つたことも暴力にあたる旨言われて、不本意ながらその場で原告に陳謝した。原告は知人の出村医院に赴き、両前腕部及び両手背部擦過傷全治約一週間の診断を受け、右診断書を添えて、同夜、目白警察署に被告田崎を告訴した。
5 翌五月一七日、原告は三楽病院へ赴き整形外科医の診断を受けたが、医師からどこも悪くないじやないかと言われ、原告の主訴に基づき校長先生提出用と付記した頸部挫傷、前腕部等打撲の診断書のみを作成して貰いこれを提出したが、同日及び翌一八日は学校へ出勤し、一九日、二〇日は欠勤した。翌二一日、同病院にて外科医の診断を受け、頸椎捻挫の病名で同日から五月三〇日まで一〇日間入院治療を受けた。その後六月六日に外来診療を受け、整形外科転科となつたが、頸椎レントゲン上も神経学的にも何ら異常がなかつたので、医師は原告が首に装着していたプロテクターを取りはずしてしまつた。
6 その間に同年五月二四日ころ、地元の豊島新聞に本件事件の内容が掲載されたので、金児校長は同日午後全職員を集めて新聞に掲載されたことのみを報告し、更に事情関係を確認する必要がある旨述べて、何ら校長としての意見を述べなかつた。六月五日ころ国元教頭が原告を見舞に行つた際、学校へ出勤するにあたり首のプロテクターは目立つから取りはずして来た方がよい旨助言した。翌六日夜、金児校長は教頭と一緒に原告宅を訪れ、原告の出校にあたり、互に事実の追及、詮索等をせず、平常どおり勤務するように配慮してほしい旨要望した。原告は六月七日以降出勤したが、三楽病院の前記処置を不満とし、同月一三日東京警察病院で診断を受け、頸椎捻挫にて通院加療を要する旨の同病院の診断書を学校へ提出した。金児校長は原告の体調を配慮し、給食主任の職務を他の教諭に担当させて原告の職務の軽減をはかり、原告の休暇申請をそのまま承認するなど適切に対処した。また金児校長は学校の管理運営上、同僚間の告訴沙汰は好ましくないので、原告に対し何とか告訴を取下げてほしい旨要請したところ、同月二七日、原告は下谷書記長と相談のうえこれを取下げた。被告田崎は校長室において原告に陳謝し、互に握手したので、校長は職員や教育委員会にその旨報告した。
7 原告は、その後七月二〇日まで出勤し、夏休み後は九月一日から一九日ころまで出勤したが、同月二〇日以降東京警察病院で診断を受け、頸椎捻挫により安静加療を要する旨の診断書を約一か月ごとに提出し翌三月二〇日ころまで長期欠勤した。被告田崎は、原告側から本件につき詫状の差入れとか公務災害の申請に協力するよう要請されたが、これを拒否したため再び告訴された。
以上の事実が認められ、<る。>なお、<証拠>によると、原告が昭和五二年六月三日眼精疲労、羞明を訴え、遠視性乱視による眼鏡を作成して貰つたことは認められるが、右視力障害が被告田崎のした行為と因果関係があることを認めるべき資料はない。
三 右認定の事実関係によると、被告田崎は約三〇年間、都内の各小学校教諭として勤務し、学年主任として責任のある地位にあつたものであるところ、原告から牛乳の栓抜き配布の件について身に覚えのない誤解を受け、その誤解を解くために、また児童には教師の無用の争いを見せたくないと思い、一年二組の教室に原告を引き入れたが、そこにも三、四人の児童がいたので、児童らが目撃していることを配慮し、約一〇秒位の間、原告の手首を持つて、「(牛乳の栓抜きを配布したのは)俺じやないよ、俺じやなかつたらどうする」と言つて、両腕を二、三回上下に振つたに過ぎないこと、原告は被告田崎から暴行を受けた旨警察沙汰、組合沙汰にするなど大騒ぎしたけれども、当日診断にかかる両前腕部等擦過傷(全治約一週間)なる病名も告訴のためのものであり、原告が組合の書記長や校医に両手を見せるころには、外見上殆んど痕跡が消失し、自然に治癒したものであつて、翌一七日三楽病院にて診断の際にも異常がなく、六月六日診断の結果もレントゲン上、神経学的に何ら異常がなかつたことが認められる。
してみると、被告田崎の原告に対する前記有形力の行使は、その態様、時間、場所等から考えてきわめて軽微であり、法律上の責任を負わせるほどの違法性があるものとは認めがたい。また、原告の前記頸椎捻挫等の症状は弁論の全趣旨から推して多分に心因的なものと窺われ、被告田崎のした右行為により発生したものとはにわかに断定できない。したがつて、被告田崎に不法行為責任があるものとはいえない。
四 次に原告は、金児校長が原告の欠勤中、職員会議を開いて一方的に誹謗する等名誉を毀損し、六月七日からの出勤に際し、プロテクターの取りはずしを指示して加療を防害し、かつ出勤を強要して原告の病気治癒を長びかせた旨主張し、原告本人も右主張に沿うごとき供述をしているけれども、右供述も伝聞等に基づく部分が多くてにわかに措信しがたく、他に原告主張の事実を肯認するに足る証拠はない。却つて、前記二の6に認定したとおり、金児校長は本件事件の発生後慎重かつ適切に対処し、同校長の職務上何ら非難すべき点は認められないから、費用負担者である被告東京都に損害賠償の責任があるものとは到底いえない。
(土田勇 横山匡輝 大橋弘)